たとえば、社長が、後継者と話し合い、予定していた退任の時期を先に延ばすことにしたとします。後継者の準備にもう少し時間をかけたい、という判断です。社長は、後継者の就任の予定を、取締役会の資料で書き換えます。

ご相談では、退任の時期が動いたあとも、保険や規程が元の予定のまま残っている場面があります。役員退職金の準備は、退任の時期を前提に組み立てられています。時期が動けば、保険の解約返戻金の推移や、支給額の計算の土台も一緒に動きます。

この記事では、法人保険の目的のうち「役員退職金の準備」を扱います。退任が延びたときに確かめる判断軸を、保険の推移、計算の土台、保険の扱いと資金繰り、の3つに分けて説明します。解説するのは、大手生命保険代理店で8年、1,100名以上のご相談を伺ってきた、FP1級(1級ファイナンシャル・プランニング技能士)の筆者です。

この記事は、法人保険への加入や解約をお勧めするものではなく、いまの準備が新しい退任の時期に合っているかを点検するためのものです。税務の個別判断や経理処理は税理士の領域です。

結論

  • 退任の延期は準備の点検時期
  • 削りすぎは保障の空白、過剰は資金繰りの圧迫
  • 判断軸は3つ。保険の推移・計算の土台・保険の扱いと資金繰り

この記事で分かること

  • 今週できる3ステップ
  • 保険を見直す3つの判断軸と整理表
  • 退任の延期で起こり得る3つの落とし穴
  • FP1級が見る点検項目と、失敗につながる場面
タップできる目次

1. 退任が延びた時の役員退職金で起こり得る3つの落とし穴

落とし穴は3つあります。どれも、退任の時期を変えたときに、保険と規程を並べて見直せば避けやすい場面です。

1-1. 解約返戻金の推移表を開かず、元の予定のまま待つ

法人保険の中には、解約返戻金が一定の時期まで増え、その後は減っていく形の契約があります。元の退任の時期に合わせて選んだ契約なら、延ばした時期には返戻金が減っている場合があります。

たとえば、社長が、延ばした時期に解約しても、元の予定と同じくらいの返戻金が戻ると考え、推移表を開かずに契約を続けていたとします。保険会社から届く契約内容のお知らせには、解約返戻金の額が載っている場合があり、それを整理していた経理担当者が、前回より小さくなっていると気づきます。経理担当者は、社長に、お知らせを並べて見せます。社長は、保険の担当者に推移表を出してもらい、新しい退任の時期の返戻金を確かめます。以後は、退任の時期を変えたら、推移表のその時期の欄を先に確かめます。

1-2. 規程の計算の土台を確かめずに、役員報酬を変える

役員退職金の規程では、退任時の報酬や在任年数を土台に支給額を計算する場合があります。退任までの間に報酬を変えると、計算の土台も変わります。

たとえば、社長が、退任を延ばした期間は後継者に報酬を回そうと考え、規程を読み返さないまま自分の役員報酬を下げたとします。承継の計画を作っていた後継者が、規程の計算式に退任時の報酬が使われていると気づき、支給額の見込みが小さくなると社長に伝えます。社長は、顧問税理士に、規程の計算と報酬の変更の影響を確かめます。以後は、報酬を変える前に、規程の計算の土台を確かめます。

1-3. 保険期間の満了日を、新しい退任の時期と比べない

定期保険には、保険期間の終わりに近づくと解約返戻金が減り、満了とともに保障も終わる形の契約があります。満了日が新しい退任の時期より前なら、退任の前に保障がなくなります。

たとえば、社長が、保険期間の満了日を確かめないまま、退任を延ばしたとします。資金計画の見直しで保険の一覧を作り直していた総務担当者が、満了日が新しい退任の時期より前だと気づきます。総務担当者は、社長に、一覧と退任の予定を並べて相談します。社長は、保険の担当者と顧問税理士に、満了までの扱いと、退任までの財源を相談します。以後は、退任の時期を変えたら、すべての契約の満了日と並べます。

要するに、返戻金の推移、計算の土台、保険期間の満了の3つが、退任の延期で起こり得る落とし穴です。

2. 経営者が退任の延期に合わせて役員退職金の保険を見直さない背景

背景は3つです。延期を「先送り」と受け止めること、保険と規程の担当がばらばらなこと、延期の期間がはっきりしないことです。

2-1. 延期を、準備の先送りと受け止める

退任を延ばすと、準備の期間が延びたと受け止めがちです。しかし、保険は元の時期を前提に設計されている場合があり、時期がずれると、準備の効き方が変わります。延期を決めた日に、保険と規程の点検日を手帳に入れます。

2-2. 保険と規程の担当が、ばらばら

保険は保険の担当者、規程は顧問税理士や社会保険労務士、資金繰りは経理担当者と、関わる人が分かれています。退任の時期が変わったことが、全員に伝わらない場合があります。新しい退任の時期を、関係する人に同じ文面で伝えます。

2-3. 延期の期間が、はっきりしない

「後継者の準備が整ったら」という延期は、終わりの時期が決まっていません。時期が決まらないと、保険の扱いを決める基準も決まりません。仮の時期を2つ置いて、それぞれで比べる方法があります。

要するに、先送りの受け止め方、担当の分散、時期の不確かさの3つが、見直しが進まない背景です。

3. 退任が延びた時に役員退職金の法人保険を見直す3つの判断軸

判断軸は3つです。まず次の表で全体を見ます。

判断軸 確かめる内容 相談する相手の例
1. 保険の推移 新しい退任の時期の解約返戻金、保険期間の満了日、資産計上の残高 保険の担当者・顧問税理士
2. 計算の土台 規程の計算式、退任時の報酬、在任年数、決議の手続き 顧問税理士
3. 保険の扱いと資金繰り 継続・払済・減額・解約の比較、保険料と運転資金の配分 保険の担当者・顧問税理士・FP

3-1. 保険の推移を、新しい退任の時期で読む

最初に、保険会社の解約返戻金の推移表を取り寄せ、元の退任の時期と、新しい退任の時期の2つの欄に印を付けます。返戻金の額だけでなく、保険期間の満了日も同じ紙に書きます。

2019年7月8日以後に契約した、保険期間3年以上の定期保険・第三分野保険のうち、最高解約返戻率が50%を超える契約は、保険料の全部または一部を、保険期間のはじめの一定期間に資産に計上し、のちの期間に取り崩して費用にします(割合や期間は最高解約返戻率の区分で異なり、年換算保険料の額などによる例外もあります。法人税基本通達9-3-5の2。出所:国税庁)。退任の時期に解約すると、帳簿に残っている資産計上の額と、解約返戻金との差額が、その期の益金または損金になります。資産計上の残高がない契約では、戻った額の全体が益金になります。延ばした時期の帳簿の残高は、顧問税理士に確かめます。

3-2. 支給額の計算の土台を確かめる

次に、規程の計算式を読み返します。退任時の報酬や在任年数を使う規程なら、退任までの報酬の変え方で、支給額の見込みが動きます。

役員退職金のうち、不相当に高額な部分の金額は損金になりません(法人税法第34条第2項・法人税法施行令第70条第2号。出所:国税庁)。損金にする時期は、原則として株主総会の決議などで金額が確定した日の事業年度で、支払った事業年度に損金経理した場合はその年度も認められます(法人税基本通達9-2-28。出所:国税庁)。取締役の報酬等は、定款に定めがなければ株主総会の決議で定めます(会社法第361条第1項。出所:e-Gov法令検索)。

事業年度の途中で役員報酬を変えると、定期同額給与として損金になるかが問われる場合があります(法人税法第34条第1項第1号・法人税法施行令第69条第1項第1号。出所:国税庁)。変える時期は、顧問税理士に確かめます。

受け取る社長の側では、勤続年数が延びると、退職所得控除の額が変わります。勤続年数が20年を超える部分は、1年あたりの控除額が大きくなります(所得税法第30条第3項。出所:国税庁)。

3-3. 保険の扱いと資金繰りを比べる

最後に、保険の扱いを比べます。選び方は、解約だけではありません。

  • 解約:その時点の返戻金を受け取り、保障は消滅
  • 継続:保障と積み立てを保ったまま、保険料も継続
  • 減額:保険金額を下げ、減らした部分は解約と同様の扱い
  • 払済:以後の保険料をやめ、同じ保険期間で保険金額が小さくなる形

払済は、その時点の返戻金をもとに保険金額を小さくする方法で、特約が消える場合があり、払済にできない契約もあります。どの方法も、経理処理と納税額への影響は当期の損益や繰越欠損金で変わるため、顧問税理士に確かめます。保険料を払い続ける場合は、資金繰り表で、運転資金とのバランスを確かめます。

完全に退任する代わりに、役職を変えて会社に残り、その時点で退職金を支給する方法が検討されることもあります。ただし、役職を変えたときの支給を退職金として扱えるかは、実質的に退職したと同じ事情があるかで判断され、報酬を下げただけでは認められない場合があります(法人税基本通達9-2-32。出所:国税庁)。検討するときは、顧問税理士に確かめます。

要するに、保険の推移、計算の土台、保険の扱いと資金繰りの3つを、新しい退任の時期で比べ直します。

ここまでで、退任の延期に合わせた点検の要点を解説しました。勇退退職金の準備の全体像から手順・注意点までまとめて知りたい方は、次の記事で詳しく解説しています。

【まるっと解説】勇退退職金の準備|社長のセカンドライフ5つの手順

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4. FP1級が見る、退任が延びた時の役員退職金の点検項目

見る点は4つです。FP1級の筆者が最初に見るのは、保険の種類よりも、新しい退任の時期が、推移表と規程の両方に書き込まれているかどうかです。

4-1. 推移表に、新しい退任の時期の印があるか

推移表の上で、新しい退任の時期の返戻金と、満了日が確かめられているかを見ます。印がなければ、保険の担当者に推移表を依頼します。

4-2. 規程の計算と、報酬の予定が合っているか

退任までの報酬の予定と、規程の計算式が合っているかを見ます。報酬を変える予定があるなら、変える前と後の両方の見込みを並べます。

4-3. 退任までの死亡保障が、続いているか

退任の前に社長に万一があれば、生前の退職金ではなく、死亡退職金や弔慰金として支給する財源が必要になります。延ばした期間も保障が続いているかを見ます。

4-4. 専門家の役割分担

税務と経理は顧問税理士、決議の手続きは司法書士・弁護士、契約の手続きは保険の担当者です。FPは、それぞれへの確認事項を並べ、決める順番を整理する役割で関わります。

要するに、推移表の印、規程と報酬、退任までの保障、専門家の役割分担の4つを見ます。

5. 今週できる、退任の延期に合わせた3ステップ

今週できるのは3ステップです。解約や新しい契約などの大きな決断は、整理が済んでから決めて構いません。

5-1. 新しい退任の時期を、1枚の紙に書く

新しい退任の時期と、決まっていなければ仮の時期を2つ、1枚の紙に書きます。その紙を、保険の担当者と顧問税理士に同じ文面で渡します。

5-2. 推移表と規程を、机に並べる

保険ごとの解約返戻金の推移表と、役員退職金の規程を並べます。推移表が手元にない場合は、保険の担当者に依頼します。

5-3. 失敗につながる3つの場面を、先に確かめる

退任の延期で失敗につながる場面は、保障の削りすぎ、保険料の過剰、書類の更新漏れの3つです。次の場面が起きないかを、先に確かめます。

削りすぎの場面

たとえば、社長が、延ばした期間の保険料を軽くしようと、規程の見込み額と比べないまま、保険金額を減額したとします。減らした部分の死亡保障はなくなり、退任までの間に社長に万一があれば、死亡退職金の財源が足りなくなる場合があります。社長の家族と相続の準備について話していた顧問弁護士が、残った保険金額が、規程で計算した死亡退職金の見込みに届かないと気づきます。顧問弁護士は、社長に、見込みと保険金額の差を示します。社長は、保険の担当者と顧問税理士に、退任までの備え方を相談します。以後は、保険金額を変える前に、規程の見込み額と並べて確かめます。

過剰の場面

たとえば、社長が、在任が延びた分だけ支給額を増やそうと、新しい保険を上乗せしたとします。設備の更新の借入を相談していた金融機関の担当者が、資金繰り表の保険料の行が増え、返済の原資が薄くなっていると指摘します。社長は、保険の担当者に、払込方法の変更や減額ができるかを確かめ、顧問税理士に支給額の見込みを確かめます。以後は、保険を足す前に、資金繰り表に保険料を入れて確かめます。

書類の更新漏れの場面

たとえば、社長が、退任の時期を変えたのに、保険の一覧の「使う予定の時期」の欄と、取締役会の資料を書き換えないままにしたとします。後継者の役員就任の準備をしていた司法書士が、資料の退任予定の日付が古いままだと気づきます。司法書士は、社長に、資料の食い違いを伝えます。古い日付のままでは、保険の担当者の試算も、元の退任の時期で作られます。社長は、保険の担当者と顧問税理士に、新しい日付を伝え直します。以後は、退任の時期を変えたら、関係する書類の日付をまとめて書き換えます。

要するに、新しい時期を書く、推移表と規程を並べる、失敗の場面を先回りする、の3つが今週の一歩です。

6. 退任が延びた時の役員退職金のよくある質問

Q1. 退任を延ばしたら、役員退職金の保険は解約したほうがよいですか。

一概には言えません。解約すると、その日から保障がなくなり、帳簿の残高との差額がその期の益金または損金になります。資産計上の残高がない契約では、戻った額の全体が益金になります。継続・減額・払済も含めて、新しい退任の時期の返戻金と資金繰りで比べ、顧問税理士と保険の担当者に相談します。

Q2. 退任が延びると、支給額は増えますか。

規程の計算式によります。在任年数を使う規程なら見込みが変わり、退任時の報酬を使う規程なら、退任までの報酬の変え方で見込みが動きます。不相当に高額な部分は損金にならないため(法人税法第34条第2項・法人税法施行令第70条第2号。出所:国税庁)、顧問税理士に確かめます。

Q3. 解約返戻金が減り始めていたら、どうすればよいですか。

まず、推移表で新しい退任の時期の返戻金を確かめます。そのうえで、継続した場合と、いま解約・払済にした場合を、保障の有無と資金繰りで比べます。経理処理と納税額への影響は、顧問税理士に確認します。

Q4. 役職を変えて会社に残れば、退職金を払えますか。

役職を変えたときの支給を退職金として扱えるかは、実質的に退職したと同じ事情があるかで判断されます(法人税基本通達9-2-32。出所:国税庁)。報酬を下げただけでは認められない場合があるため、顧問税理士に確かめます。

Q5. 退任までの間に社長に万一があったら、どうなりますか。

生前の退職金ではなく、死亡退職金や弔慰金として支給する場面になります。延ばした期間も、その財源となる保障が続いているかを、保険の一覧で確かめておきます。

Q6. 勤続年数が延びると、社長の税金はどう変わりますか。

退職所得控除の額が変わり、勤続年数が20年を超える部分は1年あたりの控除額が大きくなります(所得税法第30条第3項。出所:国税庁)。具体的な税額は、顧問税理士に確認します。

7. まとめ|退任が延びたら、保険と規程を新しい時期で読み直す

この記事のまとめ
  • 延期は準備の点検時期
  • 税務と経理は税理士の領域
  • 解約の日から、その契約の保障は消失
  • 削りすぎは保障の空白、過剰は資金繰りの圧迫
  • 判断軸は3つ。保険の推移・計算の土台・保険の扱いと資金繰り
  • 最高解約返戻率50%超は全部または一部を資産計上(2019年7月8日以後の契約。法人税基本通達9-3-5の2。出所:国税庁)

筆者は、勇退の日も、社長が守ってきたものを次へ渡す「その時」のひとつだと考えています。時期が動いたときこそ、準備を新しい日付に合わせて整えたいところです。

筆者の考えや経歴は、プロフィールにまとめています。

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本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の保険商品の推奨や個別の勧誘ではありません。税制・制度は改正される場合があります。実行前に顧問税理士・弁護士等の専門家にご相談ください。

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