長年、ひとりで会社を引っ張ってきた社長が、最近、同じ話を何度もするようになった。取引先の名前が出てこない。銀行の書類に、いつもの勢いで判を押そうとして手が止まる。

そばで見ている専務や家族は、気づいても言い出せません。「まだ大丈夫だろう」という気持ちと、「もし判断できなくなったら会社はどうなるのか」という不安が、同時にあるからです。

社長の判断能力が落ちたとき、会社の意思決定と、社長個人の財産である自社株は、思っているより動かしにくくなります。

この記事では、社長が認知症になった場合の会社と株式について、厚生労働省・法務省・裁判所が公表している成年後見制度の情報で確認できた範囲に絞って整理します。

解説するのは、保険代理店で1,100名以上のご相談を受けてきたFP1級の筆者です。

結論

  • 判断能力が十分なうちは任意後見契約という備えがあり、判断能力が不十分になったあとは家庭裁判所が関わる法定後見になります。
  • 判断軸は3つです。誰が会社の意思決定をするか、自社株をどう動かすか、会社の資金をどうつなぐかを分けて考えます。
  • 制度の備えだけでは、日々の支払いは守れません。備えが薄ければ動けず、手続きを盛りすぎれば平時の負担が重くなります。個別の判断は弁護士・司法書士・税理士の領域です。

この記事で分かること

  • 社長の判断能力が落ちたときに、会社と株式で起きやすい3つの場面
  • 任意後見と法定後見の違い
  • 3つの判断軸と、確認の進め方
  • 備え不足と備えすぎの失敗場面、今週できる確認

1. 社長が認知症になったとき、会社と株式で起きやすい3つの場面

社長の判断能力が落ちると、会社の契約・株主総会・日々の支払いの3か所で、手続きが止まりやすくなります。順に見ていきます。

1-1. 契約や書類が、有効かどうか分からなくなる

法律行為をした時に、意思能力がなかった場合、その法律行為は無効とされています。(出所:民法第3条の2)認知症の診断を受けていなくても、その時点の状態が問題になります。

たとえば、社長が判断力の落ちた時期に、金融機関の契約書に署名したとします。後になって、その契約の有効性が問題になると、会社も金融機関も困ります。

1-2. 後見が始まると、取締役の地位に影響が出る

株式会社と取締役は委任の関係にあり、受任者が後見開始の審判を受けると委任は終了すると、民法に定められています。(出所:会社法第330条、民法第653条第3号)一方、令和元年の法改正で、成年被後見人であることは取締役の欠格事由ではなくなりました。成年被後見人が取締役に就任するには、成年後見人が本人の同意を得て、本人に代わって承諾する手続きが必要とされています。(出所:会社法第331条の2)

在任中に後見が始まった場合の取扱いや、そのあと改めて就任できるかは、定款や個別の事情によって変わるため、司法書士・弁護士に確認してください。社長が代表取締役の場合は、会社の代表者が欠ける可能性があります。代表取締役が欠けたときの登記や手続きは、次の記事で整理しています。

社長が急逝したときの会社の手続き

1-3. 自社株を、家族の希望どおりに動かせない

自社株は、会社の財産ではなく、社長個人の財産です。後継者へ株を渡したい、贈与したい、と家族が思っても、社長本人の意思が確かめられないと、手続きが進みません。

法定後見が始まると、後見人は本人の利益のために財産を維持・管理する義務を負います。家庭裁判所の案内では、後見人が本人の財産を親族に贈与することは、原則として認められないとされています。(出所:裁判所の案内)例外があり得るかを含め、個別の事情は弁護士・司法書士に確認します。

たとえば、専務が「来期に後継者へ株を移そう」と計画していても、社長の判断能力が落ちたあとでは、計画のとおりに進まないことがあります。

要するに、契約の有効性・社長の地位・自社株の3つが、判断能力の低下で動きにくくなる場面です。

2. 社長の認知症への備えが、後回しになりやすい理由

後回しになる理由は、本人に切り出しにくいことと、制度の違いが分かりにくいことの2つです。整理します。

2-1. 本人に、切り出しにくい

社長に「判断力が落ちたときの準備」を話すのは、家族や幹部にとって勇気が要ります。本人も、会社を任せる準備のように感じて、話題を避けることがあります。

制度は、判断能力が十分なうちでなければ使えない備えがあります。切り出す時期が遅れるほど、選べる手段が減ります。

2-2. 「後見」と「任意後見」の違いが、混ざりやすい

成年後見制度には、法定後見と任意後見があります。名前は似ていますが、始まる時期も、権限の範囲も違います。

要するに、話しにくさと制度の混同が、社長の認知症への備えを遅らせます。

3. 社長の認知症と会社・株式を考える3つの判断軸

判断軸は、誰が会社の意思決定をするか、自社株をどう動かすか、会社の資金をどうつなぐかの3つです。その前提になる、2つの後見制度を表で整理します。

項目 任意後見 法定後見
始まる時期 判断能力があるうちに契約。判断能力が低下してから、家庭裁判所が任意後見監督人を選んだときに効力が生じる 判断能力が不十分になってから、家庭裁判所への申立てで始まる
後見人を選ぶ人 本人(契約の相手を自分で決める) 家庭裁判所(親族以外の専門職が選ばれることもある)
権限 契約で定めた範囲の代理権。取り消す権限はない 類型(後見・保佐・補助)と審判の内容による。後見では、日常生活に関するもの以外の法律行為を取り消せる
契約の方法 公証人が作る公正証書 家庭裁判所の審判

(出所:厚生労働省の成年後見制度の案内、法務省の任意後見制度の案内、裁判所の案内)

3-1. 判断軸1|誰が会社の意思決定をするか

任意後見契約では、生活や療養看護、財産管理に関する事務の代理権を、契約で決めておきます。ここで押さえたいのは、後見人が決める範囲と、会社の代表取締役としての仕事は、同じではないことです。

代表取締役としての職務や、株主としての議決権の行使まで、任意後見人に任せられるかは、個別の契約と会社の事情によって変わるとされています。会社の経営の代わりをする人は、取締役の中から決めるのが基本です。後見契約だけで会社の経営が回る、とは考えないでください。

3-2. 判断軸2|自社株をどう動かすか

自社株を後継者へ渡すなら、社長の判断能力が十分なうちに、渡し方を決めておく必要があります。贈与・売買・遺言など、方法はいくつかあります。それぞれ税金の扱いが違うため、税理士に確認します。

任意後見契約を結んでも、後見人の権限は、契約で決めた範囲に限られます。自社株の贈与を、後見人が代わりに行えるとは限りません。契約の内容は、弁護士か司法書士と一緒に決めます。

株の移し方と納税の資金の考え方は、次の記事でまとめています。

社長が高齢な会社の後継者選びと自社株承継

3-3. 判断軸3|会社の資金をどうつなぐか

社長の判断能力が落ちても、給与・仕入・借入金の返済は続きます。制度の手続きが整うまでの間の資金を、先に見通しておきます。

確かめることは、次の3つです。

  • 支払いの権限:預金口座や契約の名義人が、社長ひとりになっていないか
  • 手元の資金:月の支払額に対して、預金で何か月つなげるか
  • 保険の契約者:契約者が社長のとき、変更や請求の手続きに本人の意思確認が必要になる場合があるため、契約先に取扱いを確かめる

この記事では要点に絞って解説しました。自社株の評価や納税の資金まで、全体像を知りたい方は、次の記事で詳しく解説しています。

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要するに、意思決定の担い手・自社株の動かし方・資金のつなぎ方の3つを、分けて確かめます。

4. 社長の認知症への備えで起きやすい失敗|備え不足と備えすぎ

備えが薄いと、会社と株式が動かなくなります。反対に、手続きを重ねすぎると、平時の負担が重くなります。対にして見ていきます。

4-1. 備えが薄かった場面

  • 後見の申立てが、間に合わない:たとえば、判断能力が落ちてから法定後見を申し立てたとします。申立てから開始まで時間がかかる間、会社の契約や株の手続きが止まります。
  • 代わりに会社を代表する人がいない:たとえば、取締役が社長と配偶者だけの会社で、社長が退任したとします。代表者を急いで決めることになり、取引先と金融機関への対応が遅れます。
  • 資金の窓口が社長ひとり:たとえば、口座の操作を社長しか行えず、経理担当者が月末の支払いを動かせなくなったとします。給与の遅れは、従業員の暮らしに直結します。

4-2. 備えが重すぎた場面

  • 手続きと費用を盛りすぎる:たとえば、あれもこれもと契約や書類を並べ、専門家への依頼が重なったとします。目的が曖昧なまま費用と手間だけが増え、本業に使う時間が削られます。
  • 保険料の負担が先行する:たとえば、「判断できなくなる前に」と契約を増やしたとします。払込みが続く間、会社の資金に余裕がなくなり、先に整えるべき名義や権限の確認が後回しになります。

どこまで備えるかは、借入金の残高、毎月の支払い、自社株の持ち方を並べて考えます。状況が変わったときに置き直します。

要するに、薄すぎても盛りすぎても動きにくくなります。まず名義と権限の確認から始めます。

5. 社長の認知症に備える会社・株式の確認チェックリスト

今週中に、次の5つを確認します。

  • 代表取締役が社長ひとりになっていないか、登記事項証明書で確認した
  • 預金口座と主な契約の名義人を一覧にして、社長しか動かせないものを洗い出した
  • 自社株を誰が何割持っているかを、株主名簿で確認した
  • 顧問の税理士・司法書士・弁護士の誰に、何を聞くかを決めた
  • 毎月の支払いを預金で何か月分まかなえるかを、経理担当者と確かめた

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要するに、名義・自社株・専門家・資金の4つを一覧にすれば、備えの入口に立てます。

6. よくある質問

Q1. 社長が認知症になったら、すぐに後見人をつける必要がありますか。

一概には言えません。法定後見は、家庭裁判所への申立てで始まり、後見人は家庭裁判所が選びます。親族以外の専門職が選ばれることもあります。(出所:裁判所の案内)状況に合わせて、弁護士・司法書士に相談してください。

Q2. 任意後見契約は、いつまでに結べばよいですか。

任意後見契約は、本人に判断能力があるうちに、公正証書で結ぶ必要があります。(出所:法務省、厚生労働省)判断能力が十分かどうかは個別の状況で判断されるため、早めに公証役場や専門家へ相談します。

Q3. 任意後見契約を結べば、会社の経営も任せられますか。

任意後見人の権限は、契約で定めた範囲の代理権です。代表取締役としての職務や、株主としての議決権まで任せられるかは、契約の内容と会社の事情で変わります。弁護士・司法書士に、契約の内容を確認してください。

Q4. 後見が始まると、社長は取締役を辞めることになりますか。

取締役と会社は委任の関係にあり、受任者が後見開始の審判を受けると委任は終了すると、民法に定められています。(出所:会社法第330条、民法第653条第3号)令和元年の改正で、成年被後見人も取締役になれるようになりましたが、就任には成年後見人の関与が必要です。(出所:会社法第331条の2)在任中の取扱いや保佐・補助の場合は、個別の事情があるため、司法書士・弁護士に確認します。

Q5. 認知症の診断がなくても、社長の署名した契約が無効になることはありますか。

法律行為をした時に意思能力がなかった場合、その法律行為は無効とされています。(出所:民法第3条の2)診断の有無ではなく、その時点の状態が問題になります。個別の判断は弁護士に確認してください。

Q6. 保険は、この問題にどう関わりますか。

制度の手続きが整うまでの間の、資金の備えという面で関わります。ただし、保険の要否は、会社の支払額や借入金の状況を数字で並べてから判断します。加入を前提にする必要はありません。

7. まとめ

この記事のまとめ
  • 判断能力が十分なうちは任意後見、不十分になったあとは法定後見で、始まる時期も後見人の決まり方も違います(出所:厚生労働省・法務省の案内)。
  • 取締役が後見開始の審判を受けると委任が終了すると、民法に定められています。取扱いは個別の事情があるため、専門家に確認します(出所:会社法第330条、民法第653条第3号、会社法第331条の2)。
  • 判断軸は、会社の意思決定の担い手・自社株の動かし方・会社の資金のつなぎ方の3つです。
  • 契約の中身や自社株の動かし方の個別の判断は、弁護士・司法書士・税理士の領域です。

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筆者は、法人保険の相談で、決める社長ご本人と最初から向き合うことを大切にしています。正しい説明だけでなく、社長ご自身が納得して選べるようになることを目指して、お話を伺っています。

筆者の考えや経歴は、プロフィールにまとめています。

本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の保険商品の推奨や個別の勧誘ではありません。税制・制度は改正される場合があります。実行前に顧問税理士・弁護士・司法書士等の専門家にご相談ください。

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